京都:祇園

docterlecter2006-02-19

最初に申し上げておくが,私は「祇園」という場所に決して詳しくない。ただ,もちろん京都に住んでいて歩く機会は少なくないし,「花見小路」を歩くのは京都人でいながら観光客気分で非常にいいものではある。が,しかし,先述したように「祇園」の奥深さやそのルールについても深い理解をしていないことを読んでいただく前にご理解いただきたい。祇園については「京都・祇園へ行っちゃいましょうよ」(http://www.studio892.com/gion/)に詳しく書かれていますのでそちらをご覧下さい。今回は写真一つ一つについてのコメントはありません。またわずかな時間しかありませんでしたので写真も中途半端なことと思います。こんなフォトブログでもなにかお感じになったことがありましたらご自由にコメント下さい。

四条大橋より見る鴨川。京都には「鴨川」「加茂川」「賀茂川」との三つの呼び方があり,「鴨川」はもともと鴨氏という豪族が住んでいたので、鴨という地名がつき、鴨川となったようです。(京都市歴史資料館)。高野川合流点(下鴨神社のあたり)から上流を賀茂川下流を加茂川と使い分け(江戸時代)、「賀茂」「加茂」「鴨」と、その字を変えることで、どの場所を流れているのかを分かりやすくしていたとも考えられているということです。現在、地図上では、高野川合流点より上流が、”賀茂川”、下流が”鴨川”と表示されています。(http://www.ne.jp/asahi/nice/kyoto/scenery/scenery3.htm)から引用。

祇園」とは離れるが四条大橋の西側に立つ北京料理(中華料理とは何処がどう違うのかは知りません)の「東華菜館」非常に歴史のある重厚な建物で内部のエレベーターは昔ながらの蛇腹の内扉のあるもので店にはいるとエレベータ担当の方が操作してくださいます。




四条大橋を渡るとそこは「歌舞伎」「演劇」の「四条南座」。南座は、元和年間(1615〜1623年)京都四條河原町に公許された7つの櫓の伝統を今に伝える唯一の劇場である。四条通りをはさんだ7つのうち、明治を迎えたのは2座のみで、明治26年に北側芝居も廃座となり南座だけが歌舞伎発祥の現在地に残りました。明治39年1906年白井松次郎大谷竹次郎兄弟の松竹合名社が経営に当たる。そして大正2年に改築。さらに昭和4年、由緒ある櫓を備えた桃山風破風造りの豪華な劇場を竣工させ、以来激動の昭和期を通し京阪の代表劇場として多様な演目を取り上げた。取り分け京の年中行事となった歳末の吉例顔見世興行は戦中も一度も絶えることなく続けられ,平成3年松竹株式会社会長永山武臣により、京都の街の景観にとけこんだ外観はそのままに内部を全面改修し、最新設備の近代劇場として改築され、11月新装開場記念吉例顔見世興行によって新時代の幕を開いたということです。(http://www.shochiku.co.jp/play/minamiza/gekijyo/)から引用。



祇園,縄手の「一銭洋食」呑んだ帰りにちょっと食べたくなります。呑む前に行くお店のお土産に持って行くことも。













花見小路を少し行くと八坂神社の手前にスターバックス。花街とスターバックスのこの組み合わせが絶妙。

八坂神社。有名な祇園祭はこの神社の祭礼です。平安遷都の約150年前にあたる656年に、神霊をこの地に祀ったことがはじまりとされている。京都を代表する神社として、正月には多くの参拝者が訪れます。